代表プロフィール
剣護身術 代表
IGBA|一般社団法人 国際護身武道連盟 代表理事
防犯護身コンサルタント
大東流合気柔術 師範
武道歴 約40年
【著書】
『負けない護身』(BABジャパン)
『ラクにのがれる護身術』(青春出版社)
ボディーガード・警察官・自衛官・警備等の専門職から武道家・一般人まで護身武術を指導。北は北海道から南は沖縄まで護身術セミナーを実施(300回以上)。指導した人数は一万人を超える。2013年6月に発足した「子ども達を護れ!!学校プロジェクト」は全国に広がり、八千人以上の子ども達に護身術を指導。
経歴
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中学生で武道を開始
はじめましてヒーロ黒木と申します。私は中学1年生の頃、数人がかりの執拗ないじめに遭っていました。毎日放課後に数人のいじめっ子達に囲まれる日々・・・顔に痣をつけて帰ったこともたびたびありました。当時の私は運動神経はあまり良くなくケンカも怖くてできません。ですからまったく抵抗できずにただ黙って耐えるしかありませんでした。
しかしただ黙っていても何も変わらない。このままではいけない。「自分の身は自分で護るしかない!」と心に誓い、武道(空手)の世界に入ったのです。私の武道人生の始まりです。
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高校卒業後に自衛隊に入隊
高校2年の時、映画「ランボー2」を見て衝撃を受けると同時に、孤高の戦士の姿に憧れ、自衛隊入隊を決意。自衛隊に入隊してから毎日訓練とトレーニングに没頭。不思議なことに教育隊では教官からは「ランボー黒木」と呼ばれる。そして教育隊(110名)で首席になる。その後、精鋭が集まる本部管理中隊の情報小隊に配属。
しかし自衛隊の訓練では満足しなくなり除隊。
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自衛隊除隊後は限界を超えた修行に挑戦
山ごもりの初日にサルの集団に囲まれる(サルの縄張りの中だった!?)。そして死を覚悟した時、ボスザルに認められ死をまぬがれる。その後は普段人間の前に姿を現さないサル達が、普通に姿を見せ鍛練の邪魔をすることはなかった(サルの統率された社会に感動)。また限界を超えた鍛練の中で人体の神秘に触れる(ある種の超能力が使えるようになった)。
山から下りた後、正道会館に入門。入門6ヵ月で全九州新人戦の重量級で優勝(代表の体格は軽量級)。当時のエース 佐竹氏から優勝トロフィーを受け取った。
その後、数年間、武道から離れて仏教精神、哲学を徹底的に学ぶ。心の美しさ、高い精神性に目覚める。
※画像は山籠もりの時。向かって左側がヒーロ黒木。 -
30歳で大東流合気武道を開始
30歳の年に大東流合気武道に出会う。今までの常識を破る美しい技と動きに衝撃を受ける。そして空手やそれまでの鍛錬法を全て手放し、一から修行をやり直す。
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秋葉原連続通り魔事件をきっかけに護身術指導を実施
2008年6月 秋葉原連続通り魔事件が発生。「護身術を必要とする人が世の中に数多くいる!!」と思い、この事件をきっかけに大分県(九州)で護身術指導を始める(2008年9月)。
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2010年に全国展開
2010年9月全国展開スタート。無名のままスタートした実戦護身術セミナーは、全国をまたにかけ、毎回戦いの連続で、精神的にも肉体的にもギリギリだった。その中で心と技はより磨かれ、独自の発想や技法が完成されていった。
実戦護身術セミナーは多くの武道家や専門家から高い評価を受ける。セミナー回数は150回を超え(現在300回以上)、指導した人は五千人を超えた(現在一万人以上) 。2013年6月に発足した「子ども達を護れ!!学校プロジェクト」は、全国に広がり七千人の子ども達に護身術指導をする。
そして現在、全国各地で護身術普及に努める。
イジメから「自分を護る」ために
飛び込んだ武道の世界
それはいつしか「人を護る」ための剣護身術へと生まれ変わった
活動実績
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2008年9月
大分県(九州)で護身術を教え始める(当時SDS)
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2010年9月26日
東京池袋で護身術セミナーを開催
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2010年11月23日
東京テーマ別セミナーをスタート
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2010年12月12日
名古屋初上陸
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2011年3月20日
大阪初上陸
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2012年4月13日
東京に本部を移して本格事業開始
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2013年6月30日
「子ども達を護れ!!学校プロジェクト」発足(2024年現在、8,000人に指導)
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2014年3月23日
福岡初上陸
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2015年9月13日
北海道初上陸
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2015年11月23日
沖縄初上陸
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2017年5月3日
文京区に常設道場開設
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2019年10月6日
総合護身インストラクター養成講座スタート
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2020年8月1日
総合護身インストラクター養成講座「オンラインコース」スタート
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2021年4月3日
本部道場を千代田区に移転